・情報の整理をするメリットや価値など。
- 現実的な量になる
- 見つけやすくなる
- 扱いやすくなる
- 整理すること自体が復習になる
- アイデアが閃きやすくなる
前提としての情報過多
・過多どころか情報洪水なんて言われるほどに、今の世の中情報が多い。
・現代は選択肢が多すぎることにより、選択や選別の難易度は上がっている。
「最良の選択を」なんて考えるとものすごく手間がかかる(FOMO:後悔に対するおそれまたはFOBO:より良い選択を逃すことへのおそれ)。
このため「ゴミのような選択肢を減らす」ためにも情報整理は必要になる。
創作ではチェーホフの銃、つまり「第1幕で壁に拳銃をかけておくなら、第二幕にはそれが発射されるべきである」みたいなノリで出てきた情報は物語とほぼ必ず関連している。
だが現実には、全く無関係な情報も往々にして紛れ込む。
・情報過多を意識するならば、せっかく集めた情報でも削る/捨てるという行為も必要となる。
むしろ似たような情報を大量に集める「水増し」をやってしまいがちのため、量ほどに価値が無いことがある。整理しようとするとそれに気づける。
・情報を整理していないのは、
- 存在するのにアクセスできない
- 存在を忘れる
- なんでこれを重要と思ったのかがわからない
- 見ても意味がわからない
そんな状態になる。
裏を返せば、見返すこと(どのような価値があるのか、何のために保存したのか)、見つけること(アクセスのしやすさ)、使いやすさなどを意識して整理した方がいい。
手当たり次第全て収集したらビッグデータとなるわけだが、ビッグデータはAIにしか手に負えないだろう。人間はもう少し自分に使える形にする他無い。
自分の価値観または情報収集の目的を把握すること
・選択肢を無駄に増やさないためには、初めから集める情報を絞るのが効果的。
貪欲に、学べる全てを学ぼうとすることは、まぁ悪かないが芽が出るまでに相当時間がかかる。
目的があっての行動なら、大抵期限もあるわけで。それに間に合わないなら徒労に終わる余地もある。
・自分の価値観や目的、関心によって情報をふるいにかけること。このため目的を把握したり、価値観を把握したりは重要となる。
・利用目的があるのなら、情報収集自体が目的となってはならない。それはホーディング(溜め込み症)。あるいはコレクター。
人間は元から「あればあるほど安心できる」みたいな心理は持っている。このため質を問わずに数だけ集める層は一定数いる。最悪いつまでも数だけ集めるため、次のステップに進まない。
・園芸で例えるなら、育てたいものと雑草との見分け。レアなものでもお呼びじゃないなら雑草は雑草だ。
例えば「テストで点を取るための勉強」なら、勉強そのものの他にも出題の範囲や傾向も情報収集の対象に入るわけだ。
逆に出題範囲外のものは、たとえそれが素晴らしい叡智でも、その文脈の上では雑草となる。
マイルドな評価をするとしても、目的の役に立たないのであれば後回しなのは確かだろう。
・捨てられない性分なら「優先順位」として考えれば良い。優先順位が低いものが長期間放置されていた所で問題はないだろう。逆の場合は最悪だ。
情報と思考はわける
・情報整理には、知識の整理と思考の整理がある。この2つは分ける。混同すると事故が起きる。
・知識とは、情報を自分なりの文脈で理解したこと。思考の素材。
特に「自分の言葉で書く」というのは多方で言われていることだ。丸写しだと頭働かせなくてもできてしまう。
・思考とは、情報と自分の知識が接した時に発生したもの。
・この2つは全く分けるというのではなく、「関連してるが別物だと分かる」みたいな形態を推奨されることは多い。
例えば論文(情報)に付箋でメモ貼ってある(思考)ような区別。混ざったらどれだけやべーか。
・勉強なり情報収集なりと言うと知識しか集めないことも多い。ただ、少なくとも頭のいい連中はそれに対して思考のメモも取っていることは多い。
例えばコーネルノートと呼ばれるノート術では、疑問点や問題点を書く領域が用意される。こんな感じで対象を深掘りしたり、別の知識と繋げたりする。
もっと露骨な例だとアトミックノート系がある。これは情報と思考を全く別ページにするが、やはりリンクなどで関連付ける。結局のところ、思考と情報は分けるが並べることにはなる。
処理/利用のしやすさが上がる
・情報を取り扱いやすくする。その結果見やすく、読みやすく、わかりやすくなる。下書きと清書の違いと同じ。
・整理により扱いが簡単になり、活用するスピードが上がる。逆を言えば整理しないとその分スピードは落ちる。
・粒度はそれぞれ。いつどこで誰が見ても分かるようにした方がいい情報もあるし、特定の集団にだけ通じればいいこともある。Tips程度で良いこともあれば、網羅的であるべきこともある。
この判断のためにも価値観や目的の把握は必要。
・整理してない情報群を例えるなら、「いつか使えるかも」とか言ってガラクタためまくった汚部屋に近い。
実際に何か必要な時になって、「それならどこかにある!かならずある!」つって、何時間もガサゴソやってるような感じ。
実際「デジタルホーディング」ってあったな。デジタルの溜め込み症。不要なファイルとか削除できないの。
ちなみにホーディングの大きな理由は不安感とされる。このため情報収集の段階では溜め込みやすい。ただその後で不要と判断できずに片付けられないなら問題だろう。
これだと今度は「後で使うかもしれない」って言って片付けないせいでデスクの上クッソ汚ねぇとかと同じになる。
自分の理解度や状況の正確な把握
・これは知らない。これは知ってる。これはここまでは知ってる、ここからは知らない。
無知の知は「自分は知らないと知っている」ことをさすが、実際知らないことをわかっていないことは多い(ダニングクルーガー効果など)。知らないことを知らないと知るのはタダじゃない。
ごちゃごちゃと数だけ多い状態だと、最悪「これだけあれば十分だ」と思ってしまい、肝心なものがすっぽ抜けてることに気づかない。
・整理をしてないと、実際にアウトプットする時に初めてそれに気づくこともある。
例えばパンダ。パンダは大体知ってると思うだろうが、じゃあ描いてみろつったらそこで初めて、どこが黒でどこが白かよくわからんことに気づいたり。
しっぽは黒?白? 逆にこの疑問を持ってパンダを見れば、それ以降恐らくしっぽの色は忘れない。
意図的にこの状況を作るため、何かを学ぼうと思った時に「先ず知ってることを全部書き出してみる」という勉強法はある(ファインマンテクニックなど)。もちろんその後己の不足を知り、それを補完する。
ネットワーク化
・ナレッジ(知識)管理のツールとして、ObsidianやScrapboxがある。別に勧めはしない(良さが分かるまでに丁寧な作業が必要で時間もかかる)。
どちらも1ページで1テーマや1情報というルールが推奨されている。
これだけだと逆に不便そうに聞こえるだろうが、この2つ(探せばもっとあるはずだが)は、各ページをリンクでつなげることを主とする(まぁ好きに使って満足ならそれで問題も無かろうが)。
・これにより情報と情報のつながりが生まれ、あるいはそれは「文脈」となり、新たなアイデアとなることもある。
新たな枠組みが見出されることもあるし、意外な共通点が見つかることもある。
[amazon asin=”B01LYQ7XVT” kw=”情報の整理”]