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謝れない人と謝れない人を許せない人

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・分けようと思ったができんかった。

謝れない人は、謝る必要性を感じてないのと、謝れないのと2つに分けることができる。

 

1:謝る必要がない:

・「悪いと認めない」。悪くないから謝らない。もちろん、実際に悪くない場合もあるだろう。これは事案別に考えられるべきことだから、そいういうこともある。

・単純にぼーっとしていて、「これは謝らなきゃいけないことだ」という認識がない場合もある。

・人によっては信じられないかもしれないが、「悪いと思ったら謝る」というテンプレを知らない人間というのもいる。

 

2:謝れない

・簡単に言えば「ごめん」って言えない人。

しらばっくれる、人のせいにする、笑ってごまかす、話を逸らすなどを「してしまう」という自覚症状を持っていることは多い。人に指摘されたのかもしれないが。

これらは反射的な行動である。

 

謝れない心理的要素

・組織の代表者としてならともかく、個人としては謝るべきか謝らないべきかをその場で熟考している奴なんて見たことないだろう。

「ちょっとまってくれ自分が悪いのかよく考えるからやっぱり悪かったわごめん」というのではなく、大抵がその場で謝るか謝らないかだ。方針自体は即座に決定されている。

つまりこれらはヒューリスティクス、本能的な「とっさの判断」だと考えることができる。「謝らないのを直したい」って人がいるのも頷ける話だ。思考よりも先に結論が出て、「やってしまう」のだから。

判断材料として、普段からの人間観、世界観が大きく関わっている。
ベタなのは「謝ったら不利になる」という考え。何らかのペナルティや損失を恐れる、自分の評判などを普段から気にしている傾向。

この場合、当人的には「謝ってはいけない」ため、それ以外の方法を模索する。

 

・一方、「とっさに謝る」「とりあえず謝る」というような人も多いのも確かだ。そしてそれらに寄生してどんどん厚かましくなる当たり屋のような輩もいる。

こういった経験から「謝ること/謝らせようとする者」を警戒している可能性もある。何らかのトラウマ。これも一つの人間観、世界観。

 

言葉の重みについて

・言葉の重みはそれぞれ違う。聞くのも、口にするのも。行為もね。

謝ってほしい側が「軽く謝られて、軽く許す」というコミュニケーションを想定していても、相手側にとっては自分の評判や今後の相手との力関係などが決定してしまう重大ごとかもしれない。

 

・人間の気質はチンパンジーとゴリラに分けることができるという話がある。ざっくり言えばチンパンジーが縦社会で、ゴリラが横社会。競争主義と共存主義って感じか。

社会はチンパン的な構造をしている。優秀な者は生き残り、劣っているなら雑な扱いでいい雰囲気などは確実に存在するだろう。

まぁその分野に限るのならまだ納得するが、これが「その分野での立ち位置」ではなくて「自分の価値」となっている者が多い。社長だろうが皇帝だろうが私にとってはモブなんだが。犬猫のほうが価値があるな。

実際、会社の立場を自分の価値だと勘違いし続けた人間が定年退職し、いばる相手(価値を認めてくれる相手)がいなくなった結果、「立て看板が道路からはみ出てる!」とかしょーもない理由で全力で連日騒いで、商店街と敵対して訴訟沙汰、なんて話もあったな。会社員じゃなくて法律関係者だっけかあれ。
要するに、他の生き方を知らない。

 

・上下、勝ち負け、正否、つまりは白か黒かしかないような世界観だと「謝らなければいけない」という状況の時点で、アイデンティティ崩壊の危機に勝手になる。

当人の世界観的には「自分の地位が落ちる」を通り越して、居場所を失い被差別ポジションになる行為であり、そうなったらどうしたら良いかわからないからだ。

よく「謝れない人はプライドが高い」、なんて言われるが、実際のところはこの程度だろう。

 

許してもらえなそうだから

・ある意味合理的だが。望んだ結果を得られそうもないから、それはやらない、と。
許してくれそうもない相手なのか、世界観つまり人とはそういう生き物だと認識しているのかは分かれるところだろうけれど。

謝る、というのは3種類の動機がある。と思う。

1:許してもらうため

2:自分が悪いと思ったから

3:話を終わらせるため

「謝る」という行動に対して期待する結果に、「許されること」というのはあるだろう。許してもらえなければもう一回謝るのが大体だし。

ただそれとは別に2のような「自分が悪いと思ったから謝る」という自己完結型もある。この場合は許されるかどうかと言うよりも、自分が自分の非を認めた、ということに価値を置いている。

もちろんこれは「自分が悪いと思わない限りは謝らない」。とりあえず謝るとか、形だけの謝罪はしないと言うよりできない、ストイックなタイプ。良し悪しの感性がまともなら、「そういう人」でいいだろう。この上で変な常識で生きてたらたまらんが。

3はあれだ、「もう謝ったし」とかそういう態度のやつ。謝れない人よりもこっちのほうが嫌だ。ただ、2と見分けがつかない。

 

・「とりあえず謝っといたほうがいい」というのも、納得は行かないかもしれないが、社会的には有効な場面もある。「謝らない」方がリスキーなことが多い。だから「謝れないと悩む人」がいることは別に不思議じゃない。

謝らないでいられる先輩だとか、上司だとか、親だとか、そういった立ち位置に胡座をかいているのもいるけどね。

 

謝るほどのことか否か

・物事の受け取り方もそれぞれだ。特に今回では「責任」というものが。

責任は、必ずしも責任のある者だけが見えるものというわけでもない。

部外者でも、これはあいつの責任、これはそいつの責任、みたいに「担当」を勝手に思い浮かべて、事案と人とを紐付けていることもある。そういう「眼」で世の中を見ている人。

言い方を変えれば、トラブルの帰属先(原因/犯人探しの逆算)が必ず「人/誰か」になるタイプだと、トラブルが発生した時点で「謝らなければならない人」が必ず発生する。
結果、そのトラブルは「誰かが謝らなければいけないこと」にランクアップする。

大抵の人はここまででもないので(少なくとも表には出さない)、しょうがないなーとか今度は気をつけろよーとか流して(むしろ空気が重くならないように気を使っている人のほうが多いか)、特に謝罪だ何だとはならずに済ます。

だが誰よりも重大に物事を捉えているのなら、自分の責任の時に謝ることのハードルはかなり上がる。「責任」を見つけ、そして過大評価する傾向。

上記のような価値観で、この上で謝った人、というのを見たこともあるが、暑っ苦しい。うるさい。勝手に盛り上がるな。

自分が大仰に捉えていただけ、というのは、ついぞ彼は気づいていなかったな。本当に誰も気にしてなかったんだけどね。

 

・これは「謝れ」と言う側にも飛び火する話だ。過大評価するということは「謝らなければならないこと」にする、ということだから。

「犯人」が自分じゃない時は、黙っていられないだろう。当人にとってはそのトラブルが「誰かが謝らなければならないこと」には変わりはない。

結果的に、この特徴一つ持っているだけで、「自分は謝らないし他人は責める」というだいぶアレなパーソナリティになりかねない。まぁもう一段階、実際に言動としてそれを表現するかどうかというストッパーはあるが。

 

・どうも人間を見ていると、

謝る/謝られる → 許す/許される

というプロセスがないと感情の整理が「できない」人ってのもいるようだ。これが完了しないと頭から離れないからずっともやもやしているだとか。

総じて「問題意識が強すぎる」傾向。それが必要な場面もあるだろうが、普段からそれでは色々大変だ。

 

メモ

・正直、口先だけでとりあえず謝られても中身がないし。それよりもその後の言動が改まっているか否かでも見たほうが生産的だと思う。

 

・まぁ、謝らせたいなら追い詰めないことだ、とは言える。謝るハードルを下げてやろう。
そこまでしなきゃ謝らないような相手に、そこまでして謝ってもらいたいのかは疑問だが。

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