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アブラハム・マズローと至高体験

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アブラハム・

・ポジティブ心理学としては、現代ではマーティン・セリグマンが代表的ではある。幸福やフロー状態についてTEDトークなどしていた。

それ以前にも「健常な人間」または「幸福な人間」に関心を持った心理学者は居た。

 

・欲求階層説でお馴染みのアブラハム・マズローもその1人。「人間性心理学」として精神分析、行動主義に続く第三の心理学を提唱した。
彼の主張は、現代では自己実現のための心理学としても知られている。

尤も、現代ではそれほど科学的ではないという評価のようだが。その辺りは今後、セリグマンやチクセントミハイに期待するべきだろうか。彼らの研究はマズローをなぞっているように今回の視点では見える。より現代的、科学的に。

 

・心理学者であったマズローは1959年に、イギリスの作家コリン・ウィルソンへ手紙を送っている。彼の著書に心動かされ、筆を取ったらしい。
そこにはこう書いてあった。

 

「病人ばっか診てるの飽きた」

 

いや超意訳だけど。
要するに、病んでいる人は自分の病気のことしか話そうとしない。それよりも健康な人を研究しよう、と決めたらしい。

 

・健康な人達を数十名集めて話をしてみると、彼/彼女たちは(ウィルソンによれば)1人残らず至高体験(集中状態としてはフロー状態に近いが、突発的で歓喜の念を伴うニュアンスで使われる)を経験していたとされる。

コリン・ウィルソン著、中村保男訳『フランケンシュタインの城』では「絶頂体験」とされているが、まぁ、その、字面がちょっとね。
また「健康な人間」の定義もここでは不明である。

 

・マズローの説として知られているのが

欲求階層説

ヨナコンプレックス(先延ばしグセなど)

等がある。視野が精神を病んだ人間ではなく、一般的な人間に向いているのがわかる。

コリン・ウィルソンの方は「」という著書もあるくらいで、結構マズローの説に関心があったと思われる。

 

至高体験に入る簡単な方法

・マズロー自身は至高体験は「意図的に経験することはできない」と考えていた、とコリン・ウィルソンはしている。要するに「向こうから勝手にやって来るもの」だと。

ウィルソンの方は気持ちはわかるとしながらも、それでも意図的に経験はできるだろうとも述べている。どうやらこちらのほうが正しいようだ。

・「至高体験に関心を持つだけで至高体験をする回数が上がった」という話がある。

というかむしろ、今までその状態になっていても「気づかなかった」か、その機会を「スルーしていた」可能性が考えられる。

 

・マズローが至高体験について学生たちに話すと、彼らは次々と自身もそのような体験をしたことを「思い出した」。

彼らがそれについて思考し、あるいは論じるようになると、今度は至高体験を定期的に経験し始めたという。

 

・つまるところ、身近なものであると捉え、関心を払うこと。マズローのように至高体験を神聖視するならば、それはむしろ遠のくだろう。

この理由として考えられるのが、至高体験がそもそも「根源知覚」である点だろう。

禅や瞑想の話で見かけたことがある人もいるかも知れないが、花が花であること、空が空であること、風が風であることに「感動する」ほどの実感を感じるという描写は多い。

冷めたこと言えば、これはDMNが静かになって脳が「補足・修正」することをやめた結果、根源知覚をそのままに知覚できている状態だとも捉えられる。

 

・普段の知覚はどうかと言えば、アラビアのロレンス曰く「思考という篩(ふるい)」、「期待というフィルター」のせいで加工されていると。

これはつまり脳の「選択的注意」「先走った解釈」や「やりすぎな補足」によって形成された「仮想現実」が我々の現実であり、実感=根源知覚はそれに覆われているということになる。

尤もこれらの機能を「進化」だと考えることもできる。根源知覚では情報量が多いから「簡略化」されたのだと。あるいは判断までに時間がかかると捕食者に殺されるから「推測」の能力を鍛えたのだと。

 

・何れにせよ、没頭、実感が欲しいときには邪魔になる。それ以外では必要でもあるだろう。欲しいのは切り替え能力だ。







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