自分の中の2つの意識

・古典的な漫画表現で言えば天使と悪魔が頭の中で喧嘩したりなど、「自分の中に複数の意思がある」ことは比較的馴染みがある概念だろう。大抵2つに分けられる。

 

・わかりやすいのが「理性と本能」であり、この場合理性がメインで、本能が邪魔/間違いと扱われることが多い。まぁ実際のところはケースバイケースなんだが。

他にも色々と分け方がある。対立する構図であったり、(本来は)協力関係にあるとされたり。

 

理性と本能

 

・理性や思考、自己管理を司る意識と、直感・本能・感覚などを司る意識とは区別されることがある。
むしろ感情を意思や理性と混同する人間が危険視される。

このブログでは「人間の意識」「動物の意識」としてたまに書いたりしてるもの。

 

・後で知ったがケリー・マクゴニガルが似たこと言ってた。彼女の場合は「獣の意識」だったかな。

ちなみにケリー・マクゴニガルは自分をコントロールする意志力として、

1:やる力

2:やらない力

3:望む力

を挙げている。

これらは全て理性的自分であり、裏を返せば「それ以外」の本能的部分がこれを誘惑/阻害しているという構図になる。

 

二重過程理論(ファスト&スロー)

 

参照:https://www.j-mac.or.jp/mj/download.php?file_id=339

 

・人間には2つの情報処理システム、「速い思考」と「遅い思考」があるとする。
システム1(速い)とシステム2(遅い)とも。

 

・ファスト&スローという名はダニエル・カールマンの著書からだろう。ただ、それより前から区分自体はあった。

彼より前にスタノビッチが「二重過程理論」で提唱している。
システム1、システム2という名はこの時点でつけられている。こちらの呼び方がポピュラーらしい。

 

・システム1はヒューリスティクス。本能的、直感的部分。進化的に「古いシステム」。

高速、並列的、自動的、努力を要さない、連想的、学習が遅い、情動的(一時的で急激な感情)という特徴がある。

即座に既存の能力・知識で結論を出す。これらは生存のため、何よりも「速く」ある必要があった。

 

・システム2は理性・思考。進化的には「新しいシステム」。

低速、逐次的(順を追って一歩一歩進むような)、制御的、努力を要する、規則に支配される、柔軟的、中立的であるとされる。

 

・この2つは対立するのではなく、人はこれを「使い分ける」とされている。
どちらを選ぶかの判断基準で有力なのは、自分の情報処理能力と動機の2つ。

パッと見でわからなきゃ頭使うしかない。
失敗するわけにはいかない重要なことなら慎重にならざるを得ないだろう。

 

・この二重過程理論は広く使われている考えであるのだが、呼び方が論文の著者に依って違うというめんどくさいことになっている。

システム1システム2
自動処理意識的処理
ヒューリスティック処理システマティック処理
ヒューリスティック処理分析処理
潜在思考処理顕在思考処理
連想処理命題処理
直感システム推論システム
直感推論
反射システム熟慮システム
本能嗜好
ホットシステムクールシステム
自動処理統制処理
連想システム規則システム
連想処理規則処理
衝動システム熟慮システム
経験的合理的
直感分析

また、初期の分け方は制御・非制御を特に軸としたものだったらしい。

 

・で、上の表をみてめんどくせぇと思うのがシステム1。
それでも目は通そうかとか、飛ばしても構わないだろうとか、そういった思考はシステム2。

 

・ホットとクールってのは一見残念なセンスに見えるが、バイアスでも熱いバイアス、冷たいバイアスなんて分け方がある。

前者は感情的、後者は思考的。意識や認知に興味があるなら、こういった表現のされ方を知っておいても損はないだろう。

 

 

インナーゲーム(セルフ1 セルフ2)

 

 

・スポーツに於いてアウターゲーム(実際の試合)と同時に行われている「内面の試合」。
テニスコーチであるティモシー・ガルウェイが1974年、著書で発表した。

 

・実際の試合の最中、プレイヤーの多くが心のなかで自身への悪態をついている。
悪態をつく側の自分がセルフ1、悪態をつかれる側の自分がセルフ2。

 

セルフ1

 

・常にセルフ2を疑い、「命令」を下す。その結果に対して「裁判」を行い、セルフ2に「判決」を下す=批難する。

また叱咤、激励なども行う。

以上を「言語に依って行う」とされる。

ちなみに自分は何もしない。

 

・パフォーマンスを発揮するためにはセルフ1が非常に邪魔であり、結果としてセルフ2の学習能力、創造力は阻害されているとされる。

 

セルフ2

 

・セルフ1に批難される側。
無意識的なものを含め全ての身体能力を司り、実際の運動機能もこれに含める。

厄介なことに「言語命令がよくわからない」という特徴がある。このためセルフ1の命令は未消化に終わりやすい。

この結果からセルフ1は「より強く非難し」、「より厳しく命令を下す」ようになる悪循環に陥る。

加えてセルフ2は何を命令されたかもわからないし、どうなれば良いのかもわからなかったわけで、ますます萎縮するようになる。

 

・セルフ1の「やり過ぎ」のせいでセルフ2は萎縮し、実力を発揮できない状態が「アガった」、或いは「緊張」の状態とされる。

 

・セルフ1を黙らせるにはコツが必要になる。セルフ1に対して単に「黙れ」と言うのもまたセルフ1の行為だからだ。

つまり常に「命令・批難する側」がセルフ1で、常に「言われる側」がセルフ2だという認識で良い。

 

・心を鎮めるには、黙れと言わない、自分の心と言い争わない、非難することを非難しない、感覚に集中するなどがある。

ボールの縫い目を見ようとする、打球音を聞く、呼吸に集中するなども方法として挙げられている。

総じて「セルフ1に喋る必要性を感じさせるな」「実際に喋った分は無視」という印象を受ける。

「言葉」を使って考えないほうが良い時もあるのだろう。

 

・ファスト&スローで言えばセルフ1はスローだ。そして「動機によってどちらが使われるか決まる」とされている。

真剣であればあるほど、重要であればあるほど、セルフ1はうるさくなる。
人は本質的に、それが重要であるほどセルフ2に任せるのが怖くなる。

任せたことがないのだから、期待に応えてくれるかどうかもわからない。

わからないから、任せるわけにはいかない。

かと言ってセルフ1には「能力」はない。

という四面楚歌。

まぁセルフ2にも能力がない可能性もないではないが、それは学習能力に期待で。

 

・この話を人の意識、動物の意識に当てはめてみよう。

非常に面白いことに、動物の意識が被害者で、人の意識が加害者になる。

つまり理性的意思が正しいとは限らなくなってくる。自分のためにすらならないほどに。

「寝ようとすると眠れない」など、これを肯定する要素もある。これも意思が自律神経を萎縮させるからではないのか。

緊張を伴ってしっかりやろうとして裏目に出る
・緊張は適度なら良いが、過度なら実力が発揮できなくなる。ここまでは珍しくない話だが、その緊張をどう和らげるかにおいての、珍しい話。 不安と恐怖 ・不安と恐怖は明確に分けられる。具体的な対象がないのが「不安...

 

・ゾーン、フロー、ピークエクスペリエンスと呼ばれる「高い集中状態」とは、この2者の連携がスムーズな状態だともされる。

参照:https://ja.wikipedia.org/wiki/インナーゲーム

 

右脳的意識と左脳的意識

 

・イギリスの作家、コリン・ウィルソンが定義した。

脳の働きが解明されるにつれ、この呼名が適切ではなくなってきたことを彼自身は認めている。それでも「名前」として使ってはいたが。

シンプルに陰と陽だと思っていいだろう。

右脳的意識

 

・直感的、本能的、感情的な意識。「無意識/潜在意識」に近い。
イメージ中心。意味機能。

時に理性では力が及ばないことをやってのける。「秘められた力」があるようなニュアンスで扱われることがあり、他の区別と違って必ずしも人間の足手まといということでもない。

むしろ真我、本当の自我のような扱いをされていた。

 

左脳的意識

・思考的、理論的、理性的な意識。「意識/顕在意識」に近い。
私達が自分だと思っている部分。対処能力。

パターンの則って自動的に物事を処理する傾向。後述する「ロボット」の色合いが濃い。

人間が「自分」だと思っている部分。

 

・この2つがうまく連携が取れている脳を「天才」だとも、「至高体験(現代で言うフロー状態に近い)」の状態だともした。

 

自分と「ロボット」

 

・同じくコリン・ウィルソンは「ロボット」という概念を提唱している。

言葉通りロボットのように、自動的に物事を「片付ける」意識。

 

・彼自身のたとえ話で散歩の例があった記憶がある。

初め、歩いたことのない道では、風景、風の匂いなどが鮮明に感じられる。
繰り返しその道を散歩することを習慣とするなら、それらは気にならなくなる。

これが散歩のコースや、そこに見られる風景などに慣れた結果、「ロボット」が「消化作業」として引き継いだからだ、とされる。

だからもう新鮮さは感じないし、充実感はない。ロボットは「楽しみを奪う」と。

 

・ただ、ロボット自体は便利なものだ。自分の中に特定のタスクを実行するロボットを作ることこそが「練習」の目的だとも言える。

これを読んでいる人がこのページに来るまでに行ったデバイスの操作なんかが該当するだろう。初めは難儀したかもしれないが、今では楽勝だと思われる。

こういったことをいちいちゼロベース思考で手順の構築から毎回やっているのだとしたら、まぁ無駄な苦労をしているように見える。

 

・問題は大抵、ロボットがでしゃばりすぎることとされる。このせいで「人」として物事に当たれないし、実感も薄い。その前にロボットとして「処理」してしまう。

これはファスト&スローの概念が一番近いか。習熟し、見た瞬間に何をやったら良いか/それが何なのか一瞬でわかり、対応できる。
つまり「身についた状態」とはファスト(システム1)の分野だ。

この段階で結論が出てしまえば、次は実行に移る。それ以上考えることはない。つまりスロー(システム2)は起動しない。

 

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