・一口に「自己評価が低い」と言っても色々ある。動機や行動もそれぞれ違う。「自己評価が低い」とひとまとめにして良いものなのかどうか。
・ちなみに「攻撃的な自己評価が低い奴」は今回除外。興味ない。
自己採点が厳しい
・そのまま他者への厳しさになっているケースも有る。
・これは比較対象がハイレベル過ぎるケースを含める。
・完璧主義の要素である「高目標設定」があたる。ただ、高目標設定のみでは精神を害さないという論文もある。
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・精神を害するのは、「今の自分が不完全だと認められないこと」だとされている。
・一部の完璧主義者は「成長」や「経験」という概念を計算に入れない。「今」できなくてはならない、そうでなくては価値がないと思っているかのように。
・また、「加点対象」が存在せず、「減点対象」だけで自分を見ている場合もある。つまり評価の上がりようがない。
自分を安売りしている
・アダルトチルドレンや愛着障害など。他者への過剰反応や、過剰な気配り。
人間関係に於いて「見捨てられる恐怖」や「貢献しない限り自分には価値がない」という認識がある。
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褒められ慣れてない/自分へのディスカウント
・心理学で言うディスカウントは、価値を貶めること。悪口みたいなものだ。貶したり馬鹿にしたり。「侮辱」という言葉がしっくりくるか。
褒められたことに対しての「反発」で、過剰な自分へのディスカウントをする。
「自分なんか大したことない」「こういう駄目なところがある」なんて感じの。
・母親が他所の大人の前で自分の子供を貶す事があるだろう。大抵オーバーキルになり子供に恨まれる。
母親が人前で子供を貶す動機としては謙遜とか、目立つと目の敵にしてくるキチガイ対策だったりもある。
これらを自分で自分にやって、自分で傷ついてる状態。
劣等感
・ある事柄に於いて、自分が下で相手が上、という認知。特定の事柄ではなく「全てに於いて」という場合もある。これにより一種の対人恐怖的な言動になるケース。
これは「負い目」であることもあるが、単に「そこを突かれたくない」という防衛的な動機でもある。
親切、優しい、礼儀正しいというのは一見人に好まれる要素だが、度が過ぎればこれは「仮面」となり、内面を隠し、つまりは人を「拒絶」するためにも使える。
責任/ストレス/プレッシャーを極端に避ける
・「逃げグセ」のようなものだが、動機としては「自分にこんな事ができるわけがない」あるいはそれができる自分が想像できないからであることが多い。
免許持ってないやつに車の運転させようとしたら、自信があることはまず無いだろう。失敗のイメージが強かったり、リスクの過大評価の状態。
・後述する学習性無力感の症状の一つとして、この様な自発的な働きの無さがある。
学習性無力感
・総合的に見て完全なる無知無能だったら自己認識が正しいってことにもなろうが、大体はそうじゃない。人間は一つの物事から全体を勝手に推測して決めつける傾向がある。自分が対象でもそれは変わらない。
・木を見て森を見ず。
失敗ばかり見て、良かったところを見ない。
1つが駄目なだけなのに、全部が駄目と決めつける。
その時駄目だっただけで、「いつもこうだ」と思い込む。
そのような傾向。
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・一種の経験則による人生観やアイデンティティのようなものだが、一部の失敗体験が全体(=自分)の評価となってしまっている。
自分の意見が言えない
・否定が怖い、自分がリーダーシップを発揮するべきではない、間違ってたら責任を取れないなどなど。
禁止令
・これはエリック・バーンの交流分析から。
・禁止令は親から受け取る言外のメッセージ、或いは子供が親の態度から予測した、親の願望に近い。
ただ、「子供から見た親の態度」なため、本質とは乖離した歪んだ解釈をされる傾向がある。
或いは、本当に親が歪んだ望みを、当人も気づかずに持っている場合もある。「成長するな/子供であれ」だとか。「健康であるな」というものすらある。
・一番わかり易いのは「自分の性であるな」ってやつかな。これは親が子供に「本当は男の子/女の子がよかった」とか言っちゃうとなる。
何れにせよ、子供から見た親は、力が有り、尚且デリカシーが無い。双方知らぬ間に、傷つけて/傷ついていることは多い。簡単に言えばトラウマだな。
・禁止令は無意識的な「決断」を左右する。
・親から子への言外のメッセージ、ということで命令形で書かれることが多いのだが、子供が親の反応から自分で考えて「こうしてはいけない」「こうでなくてはならない」と結論づけているケースも多い。
成功を感じるな
・「成功を感じるな」は、「自分は成功してはいけない」という人生観が出来上がってしまっているケース。チャンスを前にすると逃げ出したい、自分からアピールすることなんてとんでもない、だとか。
これは2タイプあるとされる。成功しても成功したと感じられないタイプ。これは正のフィードバックが得られないため、自己評価は上がらない。
もう一つは「成し遂げるな」とも言われる、いつも惜しい所で失敗するタイプ。多分わざとなんだが、本人に自覚は無いだろう。失敗してるんだから自己評価はこちらも上がらない。
親しくなるな
・わかりやすいのは「あの子と仲良くしちゃいけません」みたいな親同士の確執に子供を巻き込むことから発生しやすい。
禁止令は漠然とした人生観、人付き合いに於いてのスタンスになりやすい。つまり「親しくなるな」は、「誰に対してもこの態度」になりやすい。
無意識にそうしてしまうため、本人に理由は思い当たらない。当然孤独感、疎外感を感じるだろう。
自己評価は上がるか下がるかで言えば、まぁ下がる可能性のほうが大きい。
重要であるな
・「重要であるな」は今回の話に一番近いか。ただ、反発して重要になろうとする例もあるらしく、その場合は競争的となる。
残りは禁止令通りに「重要であってはならない」ことを実行するための決断として働く。そのためには自分は重要ではないと示す必要もあるだろう。
「重要であるな」となる原因としては、いつも自己主張が許されない、或いは自分の好きなもの、大事なもの、或いは自分の能力を否定されたなどの経験由来とされる。この点は学習性無力感にもにているか。
するな
・「するな(自分の人生を生きるな)」という禁止令もある。プレイヤーとして否定されるなら、NPCになるしかなくなるな。
「するな」はずいぶんと酷いわけだが、原因は親があれこれ心配して、先回りして、「一人でさせない」ことからだと言う。
これにより、
「自分の決定はすべて間違っている」
「自分の考えで正しいことはない」
「自分がやりたいことは全てやってはいけないことだ」
との認識が育つのだと。自己評価を上げるためには、自主性はまず必要になる。この親の下では自主性は育たないどころかへし折られる事になりかねない。皮肉な話だ。
ただ、「度を越して過保護な親の下では、子供は『人形』として育つ」、と言えばしっくり来るのではないのか。
自分の価値を決めるのは他人
・誇大型過敏型問わず自己愛に多い。彼らは自尊心がない分を自己愛で満たそうとしているとされる。他人との比較で。
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・大抵の場合、誇大型は良い評価を得ようとして自分を誇大に喧伝したりする。過敏型は評価されることに怯える。
・他者が自分の価値を決める=他人にどう思われるかが全て。
誇大型じゃない限りは他人の視線に怯え、消極的になるだろう。まぁ誇大型よりマシだと思うが、過敏型も嫉妬深く、「自分を丁重に扱うべきだ」と本心では思っているとされる。
最後に
・自己評価が「低い」なら「高めればいい」となりがちだ。大体の方針はそれでいいと思うが、理由によって微調整は必要かもしれない。
・実際には自己「評価」ではないな。大体は鑑定じゃなくて決めつけだし。
・自己評価が低いと悩む人は自分しか見えてないか、他人しか見えてないかのどっちかだ。
片方しか見ないなら、「比較」ができない。これではいつまで経っても自分の「価値」がわからないだろう。
比較をして、その上でボロ負けだから自己評価が低いのだ、と言われそうなものだが、そんな局所的な欠点だけガン見した視点であなたを見てるのはあなただけだ。
その面しか無いわけでもないだろう。自分を見る目が「アラ探し」になっていないか気にしたほうが良い。
・大抵の場合何かしらのコンプレックスか認知の歪みで自分の「嫌いな所」に近視眼的に執着し、周りを見渡す余裕がない。
必要なのは、自信でも、自尊心でも、ましてや自己愛でもなく、ただ自分を客観的に見つめる心の余裕かも知れない。
・「自分が自分に何をフィードバックしているか」を気にしたほうがいいだろう。アラ探しだけなら負のフィードバックしかないということになる。自己評価上げたいなら「評価対象」も設定しなくてはならない。
この評価対象がインフレ起こしてて自己評価が稼げないのが一部の完璧主義。ハードルは低めの方がいい。