暗黙知と「質」のイメージ形成(心的イメージ)

  • 量が質を作ることもある。
  • 経験が心的イメージを作る。
  • 暗黙知も経験を通して学習される。

まぁ全部じゃないかも知れんが。作業量ではなく「経験の量」が重要であり、加えて経験の質に拘らないで量をこなすならばやっぱり徒労となろう、と。

「経験の量と質に拘れば上達する」って話ならそれもう訓練とか稽古とか修行だろうと。まぁ多い方がいいってのは納得がいく。

総じて実は当たり前のこと言ってるんじゃないのかって印象だが、当たり前は大事だからね。古今東西、御伽噺から訓話に至るまで、当たり前をタダだと思ってる奴は死ぬ。

量が質を作るのはなぜか

  • 量が質を作るなんて言葉がある
  • 量をこなすことを意識すると質も上がった実験もある
  • ナンデ?

・特にスポーツや受験勉強の分野で、「質量転化の法則」という言葉が使われることがある。量が質を作るという意味で、大体は行動に促す目的として。

まぁ世の中発破をかけるというか行動に促すというか唆すというか、まぁそんなモチベのためだけの言葉なんてのもあるわけで。もうちょっと理論的な証明はしたい。

・実際に多作の作家というのは多い。ピカソやらエジソンやら、クラシックにも沢山。これだけだと数撃ちゃ当たるって解釈も可能であるが。

・実際の実験としては、David BaylesとTed Orlandが『Art & Fear』(翻訳されたものは『アーティストのためのハンドブック  制作につきまとう不安との付き合い方』)の中で紹介したものがある。

ある学校の陶器を作る授業で、生徒を2グループに分けた。

  • 「量」グループ:作成した壺の量で評価する
  • 「質」グループ:作成した壺の質で評価する

この結果、量のグループが最も質の高い壺を作り出した

著者はこの現象を、

  • 「量」グループは多くを作成する間の失敗から学び、それを反映した
  • 「質」グループは「完璧に作るには」と考えることに時間を使ったが、実際の作品には反映できなかった

としている。
これは質より量のスタイルの方が、トライアル・アンド・エラーのサイクルを早く回せるということになる。

つまり量が質を作るというのは、言葉通りではなく、その経験を通して質が高まることを指す。慣れたとか上達したとかもこれに入れてしまえば、まぁ珍しい話でもない。

逆を言えば数をこなした経験が、質の向上に繋がっていなくてはならない。数だけこなしても脱初心者程度までは伸びるだろうが、その後は成長が止まる。

質より量の練習の価値
・この記事は『量をこなす中で質を高める』って所に着地する。・経験値を稼ぐ目的ならば悪くない。ただし「何の経験値を稼ぐか」を決めていなければ意味がない。・仕事でも創作でも、「最善は善の敵(ヴォルテール)」とか「完璧主義は敵」...
量が質を作る:量質転化の法則
・後世でも評価される作家の中には、多作なタイプがそこそこいる。・特にスポーツや受験勉強の分野で、量質転化の法則という言葉が使われることがある。量が質を作るという意味で、大体は行動に促す目的として。・初めは「質」と言っても何...

心的イメージは経験から作られる

  • 量で質は作れるが、量=質じゃないよ。
  • 脳死状態で30年続けても2~3年のぽっと出に負けるよ。
  • 成長する練習の最大の目的は心的イメージとされているよ。このイメージは経験に依って育つとされているよ

・「質とは何か」、つまり何がよろしいのかの感覚的理解な部分も、経験に依って作られる。


・何を練習したら良いのか、何を目指したら良いのか、どうなったら上達したと言えるのか、よくわからずにただただ現状の能力には不満、ということはあり得る。

こういった時に「質より量」は救いになるかもしれないが、注意点として「質とは何かを悟るために量をこなす」ことを意識しないと恐らく徒労に終わる。

人間の脳はずる賢い所があり、気づいたらただ単に数をこなそうとしていた、なんてことはあり得る。簡単に言うと、数だけ意識するなら効率化(笑)の名の下に雑になる。これでは「量産するスキル」だけが上がることにもなりかねない(それでいいなら問題ないが、今回は質の話なので)。

・質より量、と言っても脳死状態でひたすら繰り返せばいいってもんでもない。思考停止の反復だと、30年やっても2~3年の新人以下の実力になる。

アンダース・エリクソンの研究では、約30年の経験が有る医師と、医大卒業後2~3年の医師と、手術などのパフォーマンスを比べた。
結果、30年の経験が有るベテランは劣っている事がわかった。

これは上達に必要な「目的の有る練習」をしなかったから、とされている。

・このように成長が止まったりせぬよう、目的を持って自分の限界を伸ばす「限界的練習」という手法がある。今の自分にとって背伸びしないとできないような小さな具体的な目標を立て、それを目指す。

これにおいて最大の目的心的イメージの形成とされている。

形や動作だけでなく考え方や精神面、動作の裏にある概念や理論をも含むイメージであり、限界的練習に依って育つものとされる(後述する暗黙知も経験に依ってのみ得られるとされる)。経験と知識の集合体として、一つの物事に対しての全体のイメージが出来上がる。これが心的イメージになる。

この点から、心的イメージは経験に拠るものだから、考えてもこれが得られることはなく、質を意識して量をこなすことが有効だと言える。

繰り返しの反復練習していると伸び悩むことと、その解決となる限界的練習について
なんというか、総じて「試行錯誤が元々必要だったのに、ただひたすら反復練習ばっかしてたらそりゃ行き詰まるだろ」という結論になる。後述するが「ただの反復」だと、30年それやってたベテランが2~3年のぽっと出に負ける。こ...

暗黙知も経験から作られる

  • コツやカンなどの言葉できない知識を暗黙知と呼ぶよ。
  • これも経験に依って培われるよ。
  • 擬似的に「量が質を作る」となるよ。

・暗黙知は意味内容にちょっとゆらぎがあるが、ここでは「言葉にすることができない、物事の基礎的/技術的な知識」とする。別名が経験知だが、今回はそっちが良かったかもしれない。

例えば自転車に乗ってるときの無意識のバランスを取る感覚など、人に教えるのが非常に大変か無理なレベルのもの。コツやカンと呼ばれるもの。

暗黙知が多ければ多いほど、それは上達する。アウトプットの質も良くなる。掴んだ「コツ」が多いってことだからそりゃそーだ。

・暗黙知も経験に依って培われるとされる。ほぼ無意識レベル、認知レベルのものなので、自動学習だと思っておいたほうが良いかもしれないが。

暗黙知は意識的に習得できるものじゃないと言われることもある。そういう面も確かにあるが、だからと言って脳死でやるのは前述の通りよくない。自分自身の仕事ぶりに対しての疑問や関心を持ったほうが捗るだろう。

なぜその工程だけ手が鈍るのか。不安に感じるのか。みたいな漠然とした引っ掛かりがあったとしたら、そこにはまだ掴んでいないコツがあるかもしれない。

慣れることは修練の成果ではあるが、それ以上は伸びなくなる。何よりもこのような疑問や引っ掛かり自体に慣れて何も思わなくなったら、質の向上は遠のく。

・そんなこんなで経験を通した暗黙知の取得に拠る上達も、擬似的に「量が質を作る」となる。

暗黙知について
できる/知っているが言葉にできない知識。言葉にできる知識と反対の存在。「伝えたくても伝えられない」逸話は昔からある。暗黙知とは「知っているが言葉にできない知識」を指す。大きく分けて2つの使われ方があり、経験や勘などの身につ...

まとめとして、何かしら意識するなり関心をもつなりしながら数をこなすのは悪くない、ってことで。

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