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嫌なことを思い出す場面とその理由について 4

投稿日:2019年2月6日 更新日:

 

考察その2

・「忙しい時に嫌なことを思い出す」について

これはわからん。脳が活発になっていると予測できるが、意識はタスク以外にもい使われているような。

死ぬ時に見る「走馬灯」は、死ぬと思った脳が必死に切り抜ける方法や前例を脳内検索をしている状態で、それが可視化されることにより昔のことを思い出しているのだ、という説があるが、それが一番近い気がする。

要は忙しく、脳が活発に動いている状態。これは通常必要なことだけ頭の中に並べられれば良いが、それが見つからない場合には「手当たり次第」にはなるかも知れない。

この忙しい時の嫌なことってのが、もしも他人にやじを飛ばされたり、笑われたり、怒られたり、或いは間に合わなかった時や失敗したときの記憶が蘇るというようなことなら、これは「回想」ではなくて「展望記憶」とした方が良いかも知れない。要は「予測」。今の自分の状態からの「もしもこのままだめだったら」という予測。

うんまぁ、だとしたら脳が「頑張れ」って言ってんだよ。最悪な言い方で。

・「一人でいる時に嫌なことを思い出す」について

まぁそうだね。全部そうだったね。/注意は外部に基本向けられる。ただ、外的な刺激が少ない場合、内側に向かい始める。逆を言えば、刺激があるかぎりは外部に注意は向き続ける。

言い方を変えれば「頭の中を見なくて済む」。一人でいると発狂すると公言して憚らないタイプは、これに対して人一倍敏感なのかも知れない。

これらのタイミングは全て「退屈」と言える状態だろう。ピアノだけ正直わからんのだが、他人から見て大変そうでも本人からしたらそうではない限りは「退屈」に入る。

ボケないためには刺激のある新しいことを、とはよく聞く話だが、凡人には不可能なレベルの高度な技術者でも普通にボケるのは「本人にとっては慣れきった刺激のないことだから」だという話もある。チェスやってようが新聞読んでようがボケる。何が「刺激」になるのかは、恐らく個人の経験知にかなり左右される。

ともかく、意識が退屈、暇をしていると、DMNは活発になる。加えてその時何をやっているかと言えば、慣れきっているとは言え注意は向けていなければならないようなことだ。料理がわかりやすいだろう。火、刃物、いくら慣れているとは言え、目を離す訳にはいかない。

つまりはこれらの状況は、意識は外部に向けなくてはならないが、ほんの少しの注意力で足りてしまう。他のことをやるわけにもいかない。料理、演奏、運転などは「ながら作業」が比較的難しいだろう。運転中にスマホを見ることが道交法で取締の対象にされているのは、出来てないのに大丈夫だと思ってる奴が事故起こすからに他ならない。

日常的にやっていて=慣れきっていて、両手がふさがってるし、見ていなかったらほぼ100%失敗するたぐいのこう言ったことに、今回の件は集中している。

見方を変えればこれらのことは、「他人に参加されたら邪魔」である。

まな板を二人で使おう、邪魔。

1つのピアノやギターを二人で弾こう、邪魔。まぁピアノはそういうのあるっぽいけど。

運転を二人一緒にやろう、死ぬ。

どれだけ慣れていようが、一人で、意識を向けて行わなければならないこと。頭は暇を持て余す。

入浴は恐らく「他にやることがないから」だろう。これも頭は暇を持て余す状態。多分風呂でテレビ見れるようにすればこれはなくなるんじゃないか。良いか悪いかは知らんが。

勉強は義務感が強い=やらなきゃいけない。嫌悪刺激からの逃避で意識が内部に向かう可能性のほうが高いか。「できているからこそ」、雑念が目につくことはあるのだが、後述。

それとは別に長時間やってると普通に気が散り始める。それこそ「集中力」、意識を束ねる力が疲弊し、拡散し始めるため。小休憩を取ればいい。

・意識リソースについて

最悪なのは、これ以上必要ないという意識リソースの配分は経験則から適当に決まっていることだ。本当は十分じゃないこともある。スマホ運転の話のようにね。どの道、適当な作業の上に嫌なことも思い出すんじゃ何も得してはいない。

この楽にできる分野をコンフォートゾーン、気を張って頑張るような領域をパフォーマンスゾーンと呼ぶことがある。面白いのがパフォーマンスゾーンのほうがその名の通りに実力を発揮できるということだ。

コンフォートゾーンは「安心・安全な領域」という意味だが、手抜きというよりはこれが適切な行動・リソース配分だというような「見切り」に近い。で、前述の通り見切れてない可能性はある。

コンフォートゾーンは長く居続けると真綿で絞め殺す処刑場になるかもしれない。時にはいつもの作業を少しハードルを上げてみる(パフォーマンスゾーンに入る)などしたほうが、精神衛生上良いかも知れない。

個人的な意見

・視点を変えれば、というかこっちが個人的な意見なのだが、集中状態もリラックスも本来は比較的「頭の中が静か」な状態だ。高速道路のアレもボーッとしてくるという意味ではこのカテゴリに入れられる。

後は不快でもなんでも一定の変化のない刺激の場合、脳はこれをカットし始める。そうなると他はなにもないので、やっぱり静かな状態と言える。奇妙に思えるけどね。

これは頭の中が「普段より良く見える/聴こえる」ということでもある。そうなるとDMNは活性化とは別に「よく知覚できる」。

・まぁコンサートでも思い浮かべてくれればいい。演奏が終わったら観客の立てる音しか聞こえないだろう。元からその音はあったのに。

或いは寝る時に妙に耳につく冷蔵庫のモーター音や、時計の秒針の音、外で走る車の音など。これらも元からあったもので、普段耳に入らないだけのことだ。

・総じて「静かだから良く見える/聞こえる」という話で、実はいつも頭の中はそんなんで、その上でまぁ、いつもは普通に生きてるんじゃないか。

だとしたら問題は「気にすること」に、やっぱりなる。

・いくつか見えてきたことのメモ。

1:この邪魔をしている部分が大人しく今のタスクに「協力」している状態がゾーン/フローではないか。

2:特にクオリティが必要ない場合、マルチタスクはむしろ精神衛生上は好ましいのではないか。脳疲労に対しては懸念があるが。手に負えないなら「気を紛らわせながらやる」ことは選択肢に入るかも知れない。

3:意識には確実に「層」がある。舞台と舞台裏のような。まぁフロイト以降常識といえば常識だが、頻繁に、偶発的に、知覚も可能であること。無意識に馴染みがないせいでこのような戸惑いが生まれるのではないか。







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