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完璧主義者の「完璧」のイメージ

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完璧主義がイメージする「完璧像」のタイプについて。

まず完璧主義という言葉は、確かに診断する尺度とかはあるが、それでも一般においては「自覚症状」として扱われている。完璧主義を治したい、という人は多いが、その内何人が実際に診断を受けたのか、という話。拠ってここではそのような自覚症状があるだけの状態の人々を「」と呼ぶ。

例えば細部に拘りすぎて周りとの協調が難しいだとか、あるいは自分でも合格ラインだと思ってるのに些細なことが気になって仕上げることができないだとか。

このような時、当人がイメージしている予想図はどんなだろうか。今現在は完璧じゃないから完璧にしようとしているわけで、完璧じゃないと判断できるからには「完璧像」は頭の中にあることになる。

■青写真タイプ

自分の理想を形にしようとするタイプ。理想が高すぎる場合には明らかに目立ち、自他ともに「」として観測されるだろう。逆を言えばその理想が現実的な範囲内で目立たない場合には、単純に「やり遂げないと気が済まない」とかそういった形になる。気が済まない度合いには個人差があるだろう。落ち着かない程度かもしれないし、許せないってレベルかもしれない。

自己志向型の完璧主義。

■全力タイプ

厳密には、「非の打ち所がない」ことを目指す。「誰にも文句のつけようのない形」がゴール。ある意味完璧主義らしい。

この場合の完成像とは「問題点がないこと」を指す。このため、何か気になるところがあったら全部対処しようとする。手当たり次第に。

社会規定型の完璧主義。

■メモ

程度を問わなければ、別にこれ自体はどちらかに誰だって当てはまるだろう。状況によって使い分けられ、多くは両方あり得るはずだ。やりたいことだったら自分のイメージを形にしようとするだろうし、「言われた仕事」だったらケチつけられない程度に不備がないようにする。

これらの上で絶対にその通りでなくてはならないと思うなら、それは一般的に言われる所の完璧主義になる。即ち完璧主義は理想像と強迫性との2つの要素があるのではないか。

完璧主義は自己志向、社会規定、他者志向型の3つに分けられることがあるが、逆に自己志向型だけが完璧主義で、それ以外は別のなんかだ、とする考えもある。この場合の完璧主義にはメリットとデメリットが有るとして研究されている。

これらを考えれば、理想像に限度を超えた動機を付け足す「何か」こそ問題ではないか。それこそが強迫性ではないか。つまり何かをやろうとしていること自体は問題ではなく、「やらなきゃいけない」「できなきゃいけない」という衝動的焦燥的な思いが強すぎること。

 







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